セントライト(第10回)

セントライト

■回数・・・・第10回
■施行日・・・1941年5月18日
■性齢・・・・牡3
■勝時計・・・2:40 1/5
■騎手・・・・小西喜蔵
■調教師・・・田中和一郎
■馬主・・・・加藤雄策


【列伝】
セントライト(1938年 - 1965年)は、日本の競走馬・種牡馬。1941年に活躍し、同年日本競馬史上初のクラシック三冠馬となった。1984年顕彰馬に選出。

兄弟は優秀で、タイホウ(帝室御賞典、目黒記念、オールカマー)、クリヒカリ(別名アルバイト、横濱農林省賞典4歳呼馬(現:皐月賞)、帝室御賞典(秋))、トサミドリ(大種牡馬、皐月賞、菊花賞)等がいる。


【戦績】
1941年、横濱農林省賞典4歳呼馬(現:皐月賞)、東京優駿競走、京都農林省賞典4歳呼馬(現:菊花賞)を勝ち、日本の競走馬として初めてクラシック三冠馬となった。

重馬場を得意とし、重ハンデにも良く耐えた。また、東京優駿競走を勝利した時には4連闘目かつ8馬身差の圧勝だった(2006年現在も日本ダービー最大着差)。まさに日本競馬創成期の名馬と言える。

その業績を称えて、菊花賞の関東のトライアルレースとして、1951年から「セントライト記念」を開催している(1964年ラジオ関東(現RFラジオ日本)から優勝杯が寄贈され「ラジオ日本賞」の冠が入った)。

三冠達成後、関係者は重ハンデを背負う事を嫌い天皇賞に挑戦する事無く引退。生まれ故郷の小岩井農場に戻り種牡馬生活を送ることになる。当初はオーライト(平和賞・現在の天皇賞(春))、オーエンス(天皇賞(春))、セントオー(菊花賞)等の八大競走勝ち馬を輩出したものの、小岩井農場を経営していた小岩井農牧(株)が、GHQの命令によりサラブレッドの生産から撤退することになり、1949年にセントライトも岩手県畜産試験場に移ったが、繁殖牝馬の質が低下した事もあり種牡馬成績を落としてしまう。

1965年2月1日、老衰のため同試験場で死亡。シンザンの、自身に次ぐ史上二頭目の三冠達成から数ヶ月後の事だった。1984年、顕彰馬に選出された。


『データ』
■性別: 牡
■毛色: 黒鹿毛
■品種: サラブレッド
■生誕: 1938年4月2日
■死没: 1965年2月1日(27歳没)
■父: ダイオライト
■母: フリッパンシー
■生産: 小岩井農場
■生国: 日本(岩手県雫石町)
■馬主: 加藤雄策
■調教師: 田中和一郎
■生涯成績: 12戦9勝
■獲得賞金: 87,400円

セントライトの画像

(出典:Wikipedia)

イエリユウ(第9回)

イエリユウ

■回数・・・・第9回
■施行日・・・1940年6月2日
■性齢・・・・牡3
■勝時計・・・2:34 2/5
■騎手・・・・末吉清
■調教師・・・石門虎吉
■馬主・・・・石田一


【列伝】
イエリユウ(1937年 - 1941年)は、日本の競走馬である。1940年に第9回東京優駿競走(日本ダービー)に優勝した。全兄にタエヤマ(東京優駿競走2着)がいる。

生涯成績は16戦6勝。獲得賞金は4万4902円である。デビューから5戦目に5万6507人の観客を集めた東京優駿競走に出走し、1勝馬の身ながらミナミをハナ差下して優勝した。秋には京都農林省賞典4歳呼馬(現菊花賞)でも4着と好走している。京都農林省賞典4歳呼馬後は年末にかけて5戦3勝2着2回と調子を上げていたが、小倉で2連勝の後、急性脳膜炎を発症しそのまま死亡した。なお、この馬の死因については馬伝染性貧血が関連する脳膜炎ではないかという説もある。また、主戦騎手であった末吉清騎手も、後を追う様に夭折した。


【競走成績】
■1940年(16戦6勝)
東京優駿競走(日本ダービー)


『データ』
■性別: 牡
■毛色: 鹿毛
■品種: サラブレッド
■生誕: 1937年2月20日
■死没: 1941年1月13日
■父: トウルヌソル
■母: 山妙
■生産: 下総御料牧場
■生国: 日本(千葉県成田市)
■馬主: 石田一
■調教師: 石門虎吉(阪神)
■生涯成績: 16戦6勝
■獲得賞金: 44,902円

イエリユウの画像

(出典:Wikipedia)

クモハタ(第8回)

クモハタ

■回数・・・・第8回
■施行日・・・1939年5月28日
■性齢・・・・牡3
■勝時計・・・2:36 1/5
■騎手・・・・阿部正太郎
■調教師・・・田中和一郎
■馬主・・・・加藤雄策


【列伝】
クモハタ(1936年 - 1953年)は、父トウルヌソル(Tournesol )と母星旗(Fairy Maiden)の間に生まれた栗毛の牡馬。競走成績、種牡馬成績が認められ1984年に顕彰馬に選出された。半姉にクレオパトラトマス(別名月城、帝室御賞典優勝)がいる。

気性と体質、さらに脚元には蹄叉腐乱(ていさふらん)などの問題を抱え、さらに初勝利が東京優駿競走(日本ダービー)の2日前だったが鼻から豆乳を局部注射するなどの努力により東京優駿競走を制した。以後は大競走に勝てず生涯成績は21戦9勝。東京優駿競走を勝ったものの競走成績は超一流とは言い難く、顕彰馬入りしたのは種牡馬成績によるところが大きい。その種牡馬成績は1952年から1957年まで6年連続でリーディングサイアーを獲得するなど非常に優れたもので、代表産駒はGI級競走を勝利したものだけでもメイヂヒカリ(顕彰馬、1956年啓衆社賞年度代表馬)など12頭。

1953年に浦河地区が襲われた馬伝染性貧血流行の際、これに罹患したという診断が下り殺処分命令が出され、惜しまれつつも殺処分となる。享年18だった。

1951年からクモハタを記念して中山競馬場でTBS賞クモハタ記念(1959年まで2000メートル、以後1800メートル)が行われたが、1981年のジャパンカップ設立に伴い1980年限りで廃止された。


【競走成績】
■1939年(11戦5勝)
東京優駿競走、3着 - 横浜農賞

■1940年(10戦4勝)
2着 - 帝室御賞典(秋)、横浜農賞、3着 - 帝室御賞典(春)


『データ』
■性別: 牡
■毛色: 栗毛
■品種: サラブレッド
■生誕: 1936年3月4日
■死没: 1953年9月10日(17歳没)
■父: トウルヌソル
■母: 星旗
■生産: 下総御料牧場
■生国: 日本(千葉県成田市)
■馬主: 加藤雄策
■調教師: 田中和一郎(東京)
■生涯成績: 21戦9勝
■獲得賞金: 7万4414円

クモハタの画像(13番)

(出典:Wikipedia)

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