ボストニアン(第20回)

ボストニアン

■回数・・・・第20回
■施行日・・・1953年5月24日
■性齢・・・・牡3
■勝時計・・・2:34 3/5
■騎手・・・・蛯名武五郎
■調教師・・・増本勇
■馬主・・・・岡本治一


【列伝】
ボストニアンは、日本の競走馬。1953年に皐月賞、東京優駿(日本ダービー)に優勝し二冠を達成した。名種牡馬セフトの最終世代の産駒である。


■戦跡
7番人気の低評価で皐月賞を制すと、この年新設されたNHK杯にも勝ち東京優駿に出走。この年の東京優駿は33頭が出走(確定出走頭数は35頭で、当日2頭取り消した)する史上最多頭数で行われ、その中の3頭が落馬するという大混戦となった。この中で1番人気に押されたボストニアンは直線鋭く追い込みダイサンホウシユウ以下に2馬身の差をつけ優勝した。

春に二冠を制したことでセントライト以来12年ぶりとなる三冠に挑戦する。10月に復帰するとまずオープンを3連勝。この3連戦で皐月賞2着馬ハクリヨウ、東京優駿2着馬ダイサンホウシユウを易々と降し三冠達成にに死角はないと思われていたが、ハクリヨウは菊花賞に向けて急激に力をつけてきており3馬身半差敗れ三冠はならなかった。

翌1954年は、鳴尾記念(秋)と阪神記念をレコードで制すなどそこそこの活躍を見せたが、天皇賞(春)でライバル・ハクリヨウに再び敗れ、この年を最後に引退した。


■引退後
引退後は種牡馬となり、セフトの後継種牡馬として人気を集めるも、全くと言ってよいほど活躍馬を出せず完全に失敗に終わった。種牡馬としての唯一の功績は、後に名牝系を築くアサマユリのみである。(アサマユリはメジロマックイーンの曾祖母にあたる。)


『データ』
■品種: サラブレッド
■性別: 牡
■毛色: 栗毛
■生誕: 1950年5月13日
■死没: 1967年
■父: セフト
■母: 神正
■生国: 日本(北海道浦河町)
■生産: ヤシマ牧場
■馬主: 岡本治一
■調教師: 増本勇(京都)
■生涯成績: 28戦16勝
■獲得賞金: 849万1700円

画像無し

(出典:Wikipedia)



クリノハナ(第19回)

クリノハナ

■回数・・・・第19回
■施行日・・・1952年5月25日
■性齢・・・・牡3
■勝時計・・・2:31 4/5
■騎手・・・・八木沢勝美
■調教師・・・尾形藤吉
■馬主・・・・栗林友二


【列伝】
クリノハナは、日本の競走馬。1952年の皐月賞と東京優駿(日本ダービー)を制し二冠を達成した。

デビュー以来の4連勝で皐月賞に優勝しオープン3着を挟んで東京優駿に出走した。単勝1番人気は牝馬ながら朝日杯3歳ステークスに勝ち、皐月賞で2着に入ったタカハタ、2番人気はセントライト産駒で後に菊花賞に優勝するセントオー、3番人気に皐月賞優勝馬クリノハナの順であった。最後の直線コースで抜け出すと猛追するタカハタをクビ差(→着差を参照)凌いで二冠を達成した。秋は三冠を目指すも調子を崩し菊花賞に出走せず引退した。

引退後は種牡馬となり、クリペロ、タカマガハラ、クリヒデの3頭の天皇賞優勝馬を出すなど成功した。


【主な産駒】
■クリペロ(天皇賞(春))
■タカマガハラ(天皇賞(秋))
■クリヒデ(天皇賞(秋))
■チドリ(クイーンステークス)
■クリデイ(シンザンを破る)
■クリバン(東京牝馬特別)
■クリライト(京王杯スプリングハンデキャップ)
■クリベイ(函館記念、クモハタ記念)
■メジロアサヒ(クイーンステークス)
■クイントツプ(東京障害特別(秋))
■オーロラ(東京障害特別(秋))


『データ』
■品種: サラブレッド
■性別: 牡
■毛色: 栗毛
■生誕: 1949年5月18日
■死没: 1965年9月29日
■父: プリメロ
■母: オホヒカリ
■生国: 日本(千葉県市原市)
■生産: 大東牧場
■馬主: 栗林友二
■調教師: 尾形藤吉(東京)
■生涯成績: 11戦5勝
■獲得賞金: 316万9500円

画像無し

(出典:Wikipedia)

トキノミノル(第18回)

トキノミノル

■回数・・・・第18回
■施行日・・・1951年6月3日
■性齢・・・・牡3
■勝時計・・・2:31 1/5
■騎手・・・・岩下密政
■調教師・・・田中和一郎
■馬主・・・・永田雅一


【列伝】
トキノミノル(1948年 - 1951年)は日本の競走馬である。本桐牧場生産。旧名パーフェクト。オーナーは映画会社・大映の社長でプロ野球チームオーナーでもあった永田雅一。1984年(顕彰馬制度設立の年度)に顕彰馬に選出された。


■戦績
戦績は朝日杯三歳ステークス・皐月賞・東京優駿(日本ダービー)など、10戦10勝(7レコード)。デビュー当時の登録名は「パーフェクト」であり、デビュー戦を8馬身差のレコード勝ちし、圧倒的なその強さに「菊池寛の夢が実る時が来た」と言う意味で「トキノミノル」という名に改められた(現在は一度馬名を登録すると変更はできないが、当時は可能であった)。「トキノ」とは馬主でもあった菊池寛の冠名である。菊池寛は永田と親交があったが、この時にはすでに亡くなっていた。

その後皐月賞や東京優駿でもレコード勝ちをする。二着馬との差が最も縮まったのが東京優駿の時の1馬身半で、それ以外のレースは全て二馬身以上の差をつける圧勝だった。皐月賞の単勝支持率73.3%は、2007年現在でも史上1位である。また、慢性的な膝の疾患や裂蹄を抱えていたため、最後のレースとなった東京優駿では爪と蹄鉄の間にフェルトを挟んで出走した。そのあまりの強さに、アメリカ遠征のプランもあがったほどであった。

三冠確実とも言われていたが、東京優駿の17日後の1951年6月20日に破傷風を発症し死亡。


■逸話
東京優駿優勝後、関係者がコース内で記念撮影をしていたところ、スタンドの柵が壊れ、大勢の観客が馬場内に入って記念撮影に納まった。この光景を大川慶次郎は「競馬が大衆化した瞬間」であったと述懐している。

現在でも本馬に付いて回る『幻の馬』という異名は、少女小説作家で馬主でもあった吉屋信子が寄せた追悼文「初出走以来10戦10勝、目指す日本ダービーに勝って忽然と死んでいったが、あれはダービーをとる為に産まれた幻の馬だ」に由来する。「幻の三冠馬」や「幻の○○馬(○○はレース名)」という肩書きを持つ馬は数多くいるが、「幻の馬」という肩書きはトキノミノルに対してしか使われない。1955年には馬主である永田の手によって映画『幻の馬』も製作された。

また、馬主の永田も破傷風を発症した際、「ダービーの賞金を全て使ってもいいから治してくれ」と医者に頼み込んだのも有名な話。

死因となった破傷風にいては、現在ではウマ用ワクチンが広く使用されているが、当時はヒト用のものさえ日本には存在せず、命を落とすこととなってしまった。


■現在
その功績を称えて東京競馬場には石像(現在は銅像)が建立され、毎年2月の明け満3歳による重賞競走「共同通信杯(2000年までは数え馬齢だったので共同通信杯4歳ステークス)」は、サブタイトルとしてその名を冠しトキノミノル記念となっている。中央競馬で現在もレース名に名前が冠されているのはトキノミノル、セントライト、シンザンの三頭のみである(2004年のゴールデンジュビリーキャンペーンでのみ使用された競走馬は除く)。また、以前はクモハタ記念、カブトヤマ記念という重賞競走も行われていた。


■血統について
3×4のクロスとなっているThe Tetrarchは伝説的な挿話を多数残す稀代の快足馬であり、当時の日本では規格外のトキノミノルのスピードはこのインブリードによるところが大きいとされ、競走馬の血統理論や配合理論における、いわゆる『奇跡の血量18.75%』という概念の発端になったとされる。

トキノミノル自身は子孫を残すことができなかったが、全姉のダーリングはグリーングラスの三代母(曾祖母)であり、ここを通して現代の競馬にも細いながらその血を残している。


『データ』
■品種: サラブレッド
■性別: 牡
■毛色: 鹿毛
■生誕: 1948年5月2日
■死没: 1951年6月20日(3歳没・旧4歳)
■父: セフト
■母: 第二タイランツクヰーン
■母の父: Soldennis
■生国: 日本(北海道三石町)
■生産: 本桐牧場
■馬主: 永田雅一
■調教師: 田中和一郎(東京)
■生涯成績: 10戦10勝(レコード7回)
■獲得賞金: 425万7150円

トキノミノル像の画像

(出典:Wikipedia)

クモノハナ(第17回)

クモノハナ

■回数・・・・第17回
■施行日・・・1950年6月11日
■性齢・・・・牡3
■勝時計・・・2:44 2/5
■騎手・・・・橋本輝雄
■調教師・・・鈴木勝太郎
■馬主・・・・北竹清剛


【列伝】
クモノハナは日本の競走馬。終戦間もない1950年に皐月賞、東京優駿(日本ダービー)の二冠を達成した。

GHQによる財閥解体の影響で1949年に競走馬生産を中止した小岩井農場が生産した最後のダービー馬である(6頭目)。

クモノハナは僅か1勝で皐月賞に挑んでいるが、当時は終戦から5年しか経っておらず馬資源の不足も深刻であったため、特に珍しいというわけではなかった。2歳時には未勝利の身で朝日杯3歳ステークス(9頭立て最下位)に挑んでおり、活躍馬カネフブキ、シマタカの弟ということで期待されていた。迎えた皐月賞は不良馬場も味方し2番人気ハイレコードに4馬身差をつけ優勝している。そして東京優駿では前哨戦となるオープンを楽勝、調子も上昇の一途を辿り1番人気に推された。馬場は皐月賞に続いて不良となりクモノハナは持ち味を生かしてキミガヨを相手に快勝した。

ちなみに、この時ひとつの出来事が起きた。東京優駿の前夜に騎乗予定の橋本輝雄騎手がNHKの出演依頼を受けてラジオ番組『二十の扉』に出演、「ダービーには勝てるでしょう」と、つい勝利を予告してしまったのである。現在は騎手の予想行為は競馬法で禁止されているが、当時はその規制が無く、また、現在の調整ルームへの前日集合という制度も無かった為、この様なラジオ出演も可能であった。だが、クモノハナが絶対的に得意とする雨天の不良馬場が間違いない気象条件であったとはいえ、当時はテレビも無く、最大のメディアであったラジオで発言してしまっただけに、事の重大さに気づいた橋本は緊張で前夜は全く眠れなかったという。だが、橋本は見事にその言葉を実現させ、自身も史上初の東京優駿2勝騎手となった。

秋は2連勝で菊花賞に出走、セントライト以来の三冠へ挑戦する。だが菊花賞は良馬場、ハイレコードのレコードの前にアタマ差敗れ三冠はならなかった。その後は10戦3勝の成績に終わり引退、種牡馬入り。クロシオ( 中山大障害(春))を出すにとどまり、 1959年に廃用。

なお二年後に登場するクリノハナはクモノハナと同じプリメロ産駒の二冠馬であり、名前が似ているため混同されやすい。


『データ』
■品種:サラブレッド
■性別:牡
■毛色:黒鹿毛
■生誕:1947年
■死没:不明(1959年廃用)
■父:プリメロ
■母:第参マンナ
■生国:日本(岩手県雫石町)
■生産:小岩井農場
■馬主:北竹清剛氏
■調教師:鈴木勝太郎(東京)
■生涯成績:28戦9勝
■獲得賞金:340万2380円

画像無し

(出典:Wikipedia)

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