クモノハナ(第17回)

クモノハナ

■回数・・・・第17回
■施行日・・・1950年6月11日
■性齢・・・・牡3
■勝時計・・・2:44 2/5
■騎手・・・・橋本輝雄
■調教師・・・鈴木勝太郎
■馬主・・・・北竹清剛


【列伝】
クモノハナは日本の競走馬。終戦間もない1950年に皐月賞、東京優駿(日本ダービー)の二冠を達成した。

GHQによる財閥解体の影響で1949年に競走馬生産を中止した小岩井農場が生産した最後のダービー馬である(6頭目)。

クモノハナは僅か1勝で皐月賞に挑んでいるが、当時は終戦から5年しか経っておらず馬資源の不足も深刻であったため、特に珍しいというわけではなかった。2歳時には未勝利の身で朝日杯3歳ステークス(9頭立て最下位)に挑んでおり、活躍馬カネフブキ、シマタカの弟ということで期待されていた。迎えた皐月賞は不良馬場も味方し2番人気ハイレコードに4馬身差をつけ優勝している。そして東京優駿では前哨戦となるオープンを楽勝、調子も上昇の一途を辿り1番人気に推された。馬場は皐月賞に続いて不良となりクモノハナは持ち味を生かしてキミガヨを相手に快勝した。

ちなみに、この時ひとつの出来事が起きた。東京優駿の前夜に騎乗予定の橋本輝雄騎手がNHKの出演依頼を受けてラジオ番組『二十の扉』に出演、「ダービーには勝てるでしょう」と、つい勝利を予告してしまったのである。現在は騎手の予想行為は競馬法で禁止されているが、当時はその規制が無く、また、現在の調整ルームへの前日集合という制度も無かった為、この様なラジオ出演も可能であった。だが、クモノハナが絶対的に得意とする雨天の不良馬場が間違いない気象条件であったとはいえ、当時はテレビも無く、最大のメディアであったラジオで発言してしまっただけに、事の重大さに気づいた橋本は緊張で前夜は全く眠れなかったという。だが、橋本は見事にその言葉を実現させ、自身も史上初の東京優駿2勝騎手となった。

秋は2連勝で菊花賞に出走、セントライト以来の三冠へ挑戦する。だが菊花賞は良馬場、ハイレコードのレコードの前にアタマ差敗れ三冠はならなかった。その後は10戦3勝の成績に終わり引退、種牡馬入り。クロシオ( 中山大障害(春))を出すにとどまり、 1959年に廃用。

なお二年後に登場するクリノハナはクモノハナと同じプリメロ産駒の二冠馬であり、名前が似ているため混同されやすい。


『データ』
■品種:サラブレッド
■性別:牡
■毛色:黒鹿毛
■生誕:1947年
■死没:不明(1959年廃用)
■父:プリメロ
■母:第参マンナ
■生国:日本(岩手県雫石町)
■生産:小岩井農場
■馬主:北竹清剛氏
■調教師:鈴木勝太郎(東京)
■生涯成績:28戦9勝
■獲得賞金:340万2380円

画像無し

(出典:Wikipedia)
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