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東京優駿(日本ダービー)とは

東京優駿(とうきょうゆうしゅん)は、日本中央競馬会(JRA)が東京競馬場の芝2400mで施行する競馬の重賞競走で、JpnIに格付けされている。正賞は内閣総理大臣賞・日本馬主協会連合会会長賞・東京馬主協会賞、優勝騎手には朝日新聞社より優勝旗、また副賞として高級車が与えられるほか、実使用ムチが東京競馬場の競馬博物館に永久保存・展示される。

一般的にはレース名の副称である日本ダービー(にっぽんダービー)の名で広く知られており、現在の日本の競馬においてその代名詞とも言える競走である。「競馬の祭典」という呼称もマスコミが広く用いている。

JRAが配布するレーシングプログラムや競馬新聞などでは、1950年以降「東京優駿(第〜回日本ダービー)」または「東京優駿(日本ダービー)」と表記されている。一般の新聞では知名度の高い副称を前面に出し、「日本ダービー(東京優駿)」とも表記される。

■距離・・・芝2400m
■開催地・・・東京競馬場
■グレード・・・JpnI
■条件・・・3歳牡・牝(指定)
■1着賞金・・・1億5000万円
■負担重量・・・牡馬57kg、牝馬55kg
■創設・・・1932年4月24日

(出典:Wikipedia)

概要

1929年(昭和4年)以前に東京競馬倶楽部会長の安田伊左衛門が競走馬生産者たちから「イギリスのクラシック競走であるダービーステークスのような高額賞金の大競走を設けて馬産の奨励をしてほしい」という意見を真摯に受け止め、馬産の衰退を食い止める手段として、イギリスのエプソム競馬場のダービーステークスを範した

@4歳(現3歳)牡馬・牝馬の最高の能力試験であること。
A競走距離が2400m、又は2400mに限り無く近いこと。
B(開催国で催される競馬の)最高の賞金額を設定すること。
C2歳(現1歳)秋から4回の出走登録を出走資格の条件とすること。
D負担重量は馬齢重量とすること。
E施行時期は原則的に春季とすること。

以上1.から6.を満たす競走は、国内において本競走のみとすること。
という7大原則のもと、1932年(昭和7年)に4歳(現3歳)牡馬・牝馬限定の定量の重賞競走、東京優駿大競走として創設することを1930年(昭和5年)4月24日に発表、初回登録が同年10月に行われた(牡92頭、牝76頭、計168頭)。第1回は目黒競馬場(旧東京競馬場)の芝2400mで施行された。

1934年(昭和9年)からは目黒競馬場の廃止により東京競馬場に施行場を変更、1938年(昭和13年)からは前年の帝国競馬協会解散に伴う日本競馬会への移管により、名称を東京優駿競走に変更、また日本競馬会による「4歳(現3歳)5大競走」の形成に伴い、同年に新設された京都農林省賞典4歳呼馬・阪神優駿牝馬、1939年(昭和14年)に新設された横濱農林省賞典4歳呼馬・中山4歳牝馬特別とともに日本のクラシック競走を確立するとともに、イギリスのクラシック三冠競走を範して、4歳(現3歳)のクラシック三冠競走も形成、クラシック三冠競走の第2戦として位置付けられ、また4歳(現3歳)の競走馬及び日本中のホースマンの憧れ及び目標となり、競馬ファンからは「競馬の祭典」とも言われる大競走として位置付けられた。また、戦前は阪神優駿牝馬が秋の開催であったため牝馬の出走も多かった。

1944年(昭和19年)は太平洋戦争(戦時中)の影響で勝馬投票券の販売なしの競馬開催の中、能力検定競走として施行、1945年(昭和20年)・1946年(昭和21年)は太平洋戦争および終戦におけるアメリカ進駐軍の競馬場の占領により開催中止、1947年(昭和22年)からは前年の10月17日からの国営競馬再開に伴い、他のクラシック競走(桜花賞・農林省賞典・優駿牝馬・農林省賞典4歳馬)と天皇賞(春・秋)とともに再開された。

1948年(昭和23年)からは名称を優駿競走に変更、1949年(昭和24年)からは日本競馬会の運営が、独占禁止法に触れるとの声から、日本競馬会の解散及び国営競馬へ移管した。

1950年(昭和25年)からは名称を現在の「東京優駿」に変更、また「日本ダービー」という副称も付けられ、正式名称を超える競馬の代名詞ともいえる認知度に至った。

1953年(昭和28年)は本競走で初のNHKによるテレビ中継を行った。

1968年(昭和43年)は東京競馬場のスタンド改築工事による順延開催で7月7日に、また1972年(昭和47年)もストライキや流行性のインフルエンザの影響で7月9日に順延開催し、両年の本競走は7月に施行されたことから「七夕ダービー」と呼ばれた。

1974年(昭和49年)からは競馬関係者による不祥事などから枠順抽選がマスコミに公開されるようになり、1984年(昭和59年)からはグレード制施行により最高位のGIに格付けされる。1993年(平成5年)には徳仁親王と小和田雅子の結婚を祝い、皇太子殿下御成婚奉祝の副称が付けられ、1995年(平成7年)からは指定競走となり、地方競馬所属の競走馬も出走可能になった。

1995年までは5月最終週の日曜日の開催だったが、1996年に高松宮杯がGI(JPNI)に格付けされ、開催時期が優駿牝馬(オークス)の前週に繰り上げられたことに伴い、6月第1日曜に開催日を変更(それに伴って優駿牝馬(オークス)が5月最終日曜に繰り下げ)した。しかし、2000年に高松宮杯の開催が3月最終日曜に再度繰り上げられたため、本競走の開催は元の5月最終週の日曜日に戻った。

2001年(平成13年)からは外国産馬の活躍による出走資格の見直しの一環により、総収得賞金額上位2頭の外国産馬が出走可能になり、2005年(平成17年)からは青葉賞での優先出走権の取得を設けたことにより上位4頭に拡大され、2006年(平成18年)はさらに上位5頭までに拡大された。これによりクロフネやシンボリクリスエスといった後に日本を代表する外国産馬も出走したが、2007年までにまだ外国産馬から優勝馬は出ておらず、2002年(平成14年)にシンボリクリスエスが2着に入ったのが最高成績である。

中央競馬が誇る八大競走の1競走で、皐月賞・菊花賞とで中央競馬の牡馬クラシック三冠競走を構成し、牡馬のクラシック三冠競走として、皐月賞は「最も速い馬が勝つ」、菊花賞は「最も強い馬が勝つ」と言われ、東京優駿は「最も幸運な馬が勝つ」という謳い文句がある。更には桜花賞・皐月賞のどちらかとNHKマイルカップを合わせて変則三冠競走と呼ばれることもある。

事実上、日本の3歳(旧4歳)の最強馬決定戦であり、日本の全てのホースマンが憧れる最高の舞台である。騎手にとってはこの東京優駿を制すと晴れてダービージョッキーの仲間入りを果たすことが出来る。

出走資格は、サラ系3歳(旧4歳)のJRA所属の牡馬・牝馬の競走馬(総収得金額上位3頭又は青葉賞で優先出走権を得た外国産馬)及び、優先出走権を得た地方所属の牡馬・牝馬の競走馬(最大8頭まで)、出走枠は18頭まで。ただし東京優駿優先出走権取得馬(最大9頭)が優先で出走でき、残りの枠(最低9枠)は収得賞金の金額上位馬が出走できるが、同額の馬が複数いる場合は抽選で出走馬が決まる。

負担重量は定量で、牡馬は57キロ、牝馬は55キロである。

2006年(平成18年)において総額賞金は2億8,600万円で、1着賞金1億5,000万円、2着賞金6,000万円、3着賞金3,800万円、4着賞金2,300万円、5着賞金1,500万円と定められている。1973年まではこのダービーが日本競馬での最高賞金額であったが、1974年からは天皇賞、1981年からはジャパンカップ、1987年からは宝塚記念も同じ賞金額となり、現在はジャパンカップ(1着賞金2億5000万円)、有馬記念(同1億8000万円)に次いで3番目に高い賞金額となっている。

現在の優勝レイの配色は、赤色地に金色文字となっている。

(出典:Wikipedia)

トライアル競走

以下は東京優駿の優先出走権の得られる競走。

■皐月賞 JpnI 中山競馬場 芝2000m 牡馬牝馬限定・指定競走

■青葉賞 JpnII 東京競馬場 芝2400m 混合競走・指定競走

■プリンシパルステークス OP 東京競馬場 芝2000m 指定競走

皐月賞は4着まで(内国産馬、外国産馬問わず)、青葉賞は3着までの牡馬、牝馬(内国産馬、外国産馬問わず)、プリンシパルステークスは2着までの牡馬、牝馬(外国産馬はプリンシパルステークスに出走できない)に優先出走権が与えられる。

地方馬は、上記の競走で優先出走権を得た馬のほか、京都新聞杯の2着までに入った馬のみ出走できる。

(出典:Wikipedia)

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